問題解決からは目を背けちゃいけないと思う

そう強く思ってる


けど、そう思える前に

そのままの自分を認めるっていうことが認められなかったから

それが出来なかった?みたいで



今それをめちゃくちゃ考えているんだけど


もしかして、?

問題は問題じゃなかった?




私の中にある、冷たさや酷さや悪さまで


そこを認めて好きになれたら


ちゃんと自分を認められそうで





そしてその酷い自分でも愛されていたっていうことを
自分で納得して


そうだったんだって満足することが出来たら


そしたら問題は問題じゃなかったんたって思えるんだと思えだしてきた



親に愛されて育って来た人だって

冷たいところや意地悪なところもあるはずなのに


愛されて育った人にはそれが無いと思っていた


ただ穏やかで笑っている人間で

拗ねている人とは違う人種なんだと思っていた



たけど普通に考えたら

愛されて育った人にも同じく人間の感情は備わっていて


多分みんな同じなんだって分かった



今までこれが分からなくって本当に迷った


自分は違うんだ、

自分は不幸な人間で愛されて育った人とは違うんだって
決めつけちゃってた



たけど同じだった

みんな同じく感じる感情は持っている人間だった





今このままの、

酷い部分を持っている自分で愛されている


今この最低最悪の自分のまま愛されている


今この自分でも愛がある





というか、愛されて育って来た人こそ


もしかしたら冷たい人なんじゃないだろうか?


いい人ぶったり媚びたりしていないから冷たく見えるだけで



本当は自分を大切にしているから人に媚びたりしていないから冷たく見えるだけ



本当は反対なのかも


ニコニコ笑っているのがいいと思って
そういう自分になろうとしていたけどもうやめた